沈黙を越えて、問いの先へ

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朝、白湯を飲みながら私は祈る。
焦る気持ちを鎮めるように、ゆっくりと口に含むたび、「今日の私」を整える儀式。
それでも時に、世界の静けさが、ひどく大きな音に感じることがある。

障がい年金の通知は、今日も届かない。
ポストの中の沈黙が、国の姿そのもののように思えた。
声を上げても応答がないこの社会は、意見を持つことすら「ノイズ」として扱う。

「空気を読め」と言われて黙るたび、私の中の言葉はどこへ行くのだろう。
順応こそが生き延びる術とされるこの流れの中で、私はあえて“遅さ”を選んだ。
急流の社会を泳ぐのではなく、ゆっくりと、問いを抱えたまま歩いていたい。

すべては、「ありのまま」に生きることの難しさから始まった。
「自分らしくあることが、誰かを傷つけることもある」と言った友の声が、今も胸にある。
たぶん私は、自分という存在の“矛盾”をずっと解こうとしていたのだ。

人生には、解のない問いがある。
母の死、障害の診断、語りかけてくる古びた哲学書。
「考え続けなさい」という母の声が、埃の匂いにまぎれて私を導く。

それでも生きるには、問いだけでなく、選択もしなければならない。
働くこと、関係を築くこと、夢を追うこと。
社会に押しつぶされないために、自分の歩幅を守るにはどうすればいいのか。

春の駅のホーム。
彼女は採用通知のメールを受け取りながら、小さな決別を抱えていた。
嬉しさの裏にある孤独。それもまた、一歩を踏み出すということだ。

私は思う。
問いに答えが見えなくても、問い続けることに意味がある。
“動けない”と呼ばれても、考え抜いた先に見える景色を信じたい。

社会の速度に飲まれず、意志を持って日常を選び取る。
その静かな抵抗こそが、私の生き方だ。
今はまだ霧の中にいるけれど、その先に、私は光を見ている。

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