沈黙の川を越えて

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気づけば、三月ももう数日が過ぎていた。
時間は川のように流れる。
誰の意思にも関係なく、淡々と過ぎていく。
それは人に平等に与えられながら、感じ方だけは千差万別だ。

朝7時すぎ、少し遅めに目が覚めた。
鼻がムズムズしている。
鼻炎が、またぶり返したのだろうか。
薬も漢方も効かない。
目、鼻、口——今年は順番に不調が回ってくるようで、次は歯かもしれない。
4月4日に歯医者の予約を入れてある。
できれば目にだけは来ないでくれ、と祈りながら、お湯を沸かす。

普段は、朝に祈ることから一日が始まる。
けれど今日は、時間がない。
それでも、焦る気持ちをなだめるように白湯を一口。
「まあ、午後にやればいい」
小さくつぶやいて、自分を納得させる。

外はまだ冷たい空気が残っていた。
ポストを覗くと、そこには何もなかった。
障がい年金の通知は、今日も届いていない。

もう何度も確認した。
けれど、国からの返事は来ない。
却下なら却下と、一言でも返してくれればいいのに。
だがこの国は、沈黙する。
人に沈黙を強いておきながら、自分たちは声を上げようとしない。

学校では序列が支配し、会社では経営者がルールを押し付ける。
意見を言えば「空気が読めない」と敬遠され、沈黙が美徳だと刷り込まれていく。
誰もがその流れに乗り、逆らう者を疎む。
その姿は、まるで“順応することこそが正義”とでも言いたげだ。

だが、私はもう、流れに乗るのをやめた。
この社会の川は、あまりに速すぎる。
誰もがカヌーのように急流を下っていく中、私はカメでいることを選んだ。

ノロノロと、ゆっくりと、自分の歩幅で進む。
それが遅いと笑われても構わない。
もう、誰かの期待に応えるために生きることはやめた。
その代わり、自分だけは、自分で守ろうと思った。

焦って転ばなくていい。急いで沈まなくていい。
今日は今日の、自分にできる最良を尽くせばいい。
そうすれば、明日は少しだけ前に進めるかもしれない。

白湯を飲み干して、私はもう一度カーテンを開ける。
朝の光が差し込んで、部屋の奥まで照らしていた。

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