「成功って、なんだと思う?」
静かなカフェの片隅で、ノートを開いたまま手を止めた彼が、ぽつりとつぶやいた。
「うーん、難しい質問だね」
私は笑った。
「最近、何度もそのことを考えてる気がするよ」
彼のノートには、色分けされたマーカーと、びっしり書き込まれた勉強法のメモが並んでいた。
アクティブリコール、ポモドーロ・テクニック、フェインマン・テクニック。
効率よく、賢く、そして「成果」を出すための方法たち。
「でもね、これ全部やっても、“成功”してる実感って、あまりないんだよな」
彼の表情は冴えない。
「頑張ってるのに?」
「うん。でも、目に見える“成功”ってやつは、まだ遠い気がしてさ」
私は黙ってカップを手に取った。
口に運ぶその一瞬で、数年前の自分を思い出す。
就職活動、最初の仕事、失敗とプレッシャー。
必死で積み上げては壊れ、また積み上げる毎日。
「終わった」と思った瞬間なんて何度もあった。
でも不思議と、そのたびに次の道が現れた。
引きこもるように人と距離を取った時期もあったけど、電話越しの友人の声が、確かに心をつないでくれた。
「ねぇ、“成功”って、到達点じゃなくて、過程なんじゃない?」
彼がこちらを見る。
「たとえば、今日」
「25分集中して、5分休憩して、それを何度か繰り返して」
「わからなかったところを、言葉にして説明しようとして」
「たったそれだけでも、昨日の自分より前に進んでるんだとしたら…」
「それって、“成功”とは言えないかな」
彼は少しだけ驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「それ、フェインマン先生も同じこと言いそうだね」
私たちは笑い合った。
外では風が、春の終わりを告げるように街路樹を揺らしていた。
何かが終わって、何かが始まる。
そんな季節の中で、私たちはまた少しだけノートに向き直る。
「成功ってさ」
彼がもう一度言った。
「“何かを続けてる自分を、嫌いじゃない”って思える状態のことかもしれないね」
私はうなずいた。
「だったら、今の私たち、なかなかいい線いってるかも」
ページの隅に、今日の日付を書き込む。
それは、未来のどこかで「あれがスタートだった」と気づく、見えない始まりの印だった。
