問いの果てに、光は差す

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朝、5時半。
耳元で目覚ましが鳴り、布団の中で目を開けた。
まだ体は眠たがっている。
鼻がムズムズしているのは、季節の変わり目か、気の緩みか。

それでも、ベッドから身体を起こす。

ふと、「このままでいいのか?」という声が頭をよぎった。
不安なのか、不満なのか、自分でもよくわからない。
ただ、そう考えている間だけは、自分を見失わずにいられる気がするのだ。

矛盾しているようで、どこか心地よいこの問いかけ。
不安があることが、安心の証であるかのように。


昼。

書きかけの文書をひらいた。
タイトルは「虚無と生きる」。
意味のありそうで、実は何も語っていない文章。
何かを抱えているようで、ただ空虚を抱えているだけの記録。

「終わりにしよう」

思わず呟いた。
すぐにカーソルを動かし、「全消し」の操作をする。
画面から文章が消えていく。
どこか清々しい。

前言撤回。
そんな言葉が脳裏をかすめたが、もうどうでもよかった。
代わりに、新しいフォルダを作る。
「短編集」と名づける。

この不安も、空虚も、物語の一部にしてしまえばいい。
書き直せばいい。自分の人生ごと、書き直せばいいのだ。


夕方。

小さなカフェの窓際、ノートパソコンを開いて打鍵する指が止まる。
「自由」って何だろう?

かつて「敢えて寄り添わない自由」なんて言葉を使ったことがある。
誰かに踏み込まず、相手の領域を尊重する。
その美しさに酔っていた。

だが現実は違った。
善意という名の支配、理解なき押しつけ、慣習に縛られた生き方。
知らず知らずのうちに、自分もその鎖の一部になっていたのかもしれない。

「変えなきゃ」

気づいた者から、歯車の回転を修正していくしかない。
私は、もう縛られたくなかった。


夜。

PCの画面に、新しいタイトルが浮かぶ。

「問いの果てに、光は差す」

仮タイトルとしては悪くない。
明日になれば、また違う言葉が降ってくるかもしれないが、それでもいい。

今はただ、書き続ける。
この問いの先にある、まだ見ぬ答えに出会うために。

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