朝、目覚めたとき、彼は自分が「生きている」ことに気づいた。
昨日と変わらない寝癖、変わらない天井の染み、変わらない薬の並んだ棚。
変わったのは、昨日の夢だけだ。
彼は20代の終わりに病を得た。精神と神経の病だった。
身体ではなく、思考が先に疲れ果ててしまった。
時折やってくる発作と、ずっと続く沈黙のような孤独。
反芻する思考。止まらない問い。
「生きてるって、何だ?」
薬は効いている。でも、それは生きている実感とは違った。
人と同じ時間に笑い、人と同じように仕事をし、人と同じように将来を語ることが、どれほど遠くなったか。
老いという言葉が、急に現実味を帯びる。
まだ30代になったばかりなのに、老いは思考の中にじっとりと根を張り始めた。
人は老いる。
そのことが、彼を少しだけ慰めた。
「みんな、老いる。なら、僕のこの感覚も、少しだけ正しいのかもしれない」
病を得ることで、彼は死を近くに感じた。
でも、それ以上に、生きることの質感を知った。
詩を書き始めたのは、その頃だった。
詩には力がある。
紙に書きつけるたびに、ひとつずつ、自分の中の苦しみが風にほどけていくような気がした。
かつて教えていた後輩が、昇進したと聞いた。
自分の指導が、ゼロからイチを生んだことを、どこかで実感している。
けれど、教えるという行為には、いつも痛みがあった。
自分の身を削りながら、誰かを育てる。
だから、今はただ祈るだけにした。
育てるかわりに、生きることを祈る。
生老病死。
それは人生の順番ではない。
時には、すべてが一度に訪れる。
でも、彼は今も生きている。
通院の帰り道、バス停のベンチに腰を下ろし、風のにおいを嗅ぐ。
舗道の隙間に、小さな花が咲いていた。
「なぜここで?」と誰かが聞けば、彼はきっと笑って答えるだろう。
「ここにしか咲けなかっただけさ」
風に咲いたその花のように。
彼もまた、今日を生きる。
