書くことは、思考すること
僕にとって書くとは、思考すること。
僕にとって書くとは思考することである。
思考して悩んで辛くなって反芻思考になる。
単純に僕には書くことは二つに分別される行為。
良い思考と反芻思考のトラウマに誘われる。
これは生き様なのか性分なのかも分からない。
僕にしか分からない領域。
きっと周囲の人は思うだろう。
「なに考えてんだ?」と。
負を正に変える錬金術
僕にしか分からないトラウマのような思考。
それは必ずしも悪いものではない。
良い結果を生む場合もある。
反芻をしたことにより、アイデアが生まれる。
負のエネルギーをプラスのエネルギーに変える瞬間だ。
例え、そのエネルギーが負のままであっても
いつかはプラスに転じるようにアウトプットするのだ。
そのアウトプットから導きだされた結果が
前へ進む原動力になる。
書く瞑想、唯一の友達
書くというテーマで思い浮かぶのは、「ジャーナリング」。
書く瞑想とも言われてる。
僕も書く瞑想の虜なのかもしれない。
ただプロのように文章をうまく書けない。
素直にそのまま出た言葉を出すだけの代物では
何も共感を得られないと思うからだ。
それでもこうやって書くことで自我を保てるならば、汚い文章でもいい。
それがジャーナリングの醍醐味だからだ。
知恵やアイデア出しにも多彩に利用できる書く瞑想。
それが僕の唯一の友達みたいなものにも感じる。
メンタルと肉体の格闘
今日も一日が終わった。
わずかばかりの4時間労働を終わらし、切れ痔と格闘する。
アルコール依存のようにガブ飲みしたビールとハイボールが
カラオケの音でかき消される。
「ぐびぐび」と喉を通る酒という液体が体内に入っていく。
そして、切れ痔の再発だ。
もう懲り懲りだと叫びと共に痛みがメンタルを壊す。
痛みはメンタルよりも強いのだ。
今年に何度も味わった。
師走の12月末近くになった今日も
痛みと肉体が同化する。
メンタルも痛いが
それ以上に切れ痔の痛みはどうにかしてほしいと思う今日であった。
