僕の立場と、この文章の目的
僕は祖父母・両親とも創価学会に入信していた家庭に生まれ、創価学会3世として育ちました。
今は地方で男子部として活動しています。
僕は障がいのある当事者でもあります。
現在、障がい者就労支援事業所で利用者として働き日々を生きています。
本記事では、創価学会の教えに助けられながらも、福祉制度や就労支援の現場、そして学会自身にも感じている「矛盾」や「課題」について、率直に語らせてください。
就労支援という名の「矛盾した支援」
今の僕の職場は、「就労支援」という名の下に、最低限の単純作業を与えられ、最低賃金で働く場所です。
最初は希望を持って入りました。
直感を信じ、自らハローワークで見つけ、面接後に採用された。
でも、数ヶ月経った頃から、徐々に気づきました。
利用者なのに社員と同じ責任を求められる
「支援」と言いながら、実際は助成金目的の事業構造
サービス管理者は「嫌なら辞めてもいい」と突き放す
これらは僕自身が経験したことや同じ立場の人が経験したことです。
真実と事実を分別しないといけませんが、僕はその人たちの意見も信じています。尊重しております。
僕が体調を崩し、無断欠勤を続けたのも、「怠け」ではありません。
自分の存在が「制度の歯車」にしか感じられなかった苦しみが限界に達したからです。
本来の「支援」とは何か?
支援とは、「共に考え、共に成長する姿勢」が必要です。
けれど現実は、「管理」「効率」「予算」に終始している。
特に障がい者支援の現場では、「当事者の声」や「感情」が置き去りにされがちです。
意見を出してもスルーされる
フィードバックがなく、無力感だけが残る
支援者と利用者が「加害者と被害者」のように対立してしまう
誰かが悪いのではありません。
制度と構造の歪みが、共犯関係を作り出しているのです。
創価学会の教えに立ち返るとき
創価学会の哲学には、「対話」「人間尊厳」という根本の精神があります。
僕はその教えに、何度も救われてきました。
だからこそ、言いたい。
「対話のない支援、心を見ない励ましは、支援ではない」
本部や幹部の皆さんも、学会員一人ひとりが日々どんな環境で苦しんでいるのか、もっと深く、耳を傾けてほしい。
地方の学会活動と、育たない若者たち
地方では、若い世代の学会員が少なく、高齢化が進んでいます。
「やりたくても対話できる相手がいない」
「励ましがただのルーティンになっている」
そんな状況が散見されます。
僕は、先輩たちを否定したいのではありません。
ただ時代が変わった今こそ、個々の背景に寄り添い、個別の励ましが求められているのです。
僕が夢見る未来と、革命のかたち
僕の願いはシンプルです。
世界中の人と、お題目を一緒に唱える
多文化共生社会の中で、人間尊厳の信仰を広げる
誰一人取り残さない社会と、学会を実現する
この信心があるから、僕は今日もお題目をあげ、心は晴れやかです。
苦しい現実があっても、信仰が僕を支えてくれている。
僕は、今ここで声を上げることこそが革命だと信じています。
あなたはどう思いますか?
この文章を読んでくれたあなたへ。
あなたなら、今の福祉や学会をどう見ますか?
あなたが「声を上げること」で、何かが変わるかもしれません。
「声仏事を為す」
言葉には、世界を変える力があります。
