社会は、なぜこんなにも生きづらいのか

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「社会は厳しい」
誰もが一度は、そんなふうに感じたことがあるかもしれません。

でも、それが「一時的な感覚」ではなく、「ずっと続いているもの」だとしたら?

私は今、就労支援A型事業所で働いています。

制度のなかで守られている立場。
一見すると「安心」して働ける環境のように見えるかもしれません。

けれど、「夢を描くことすら難しい」と感じる日々が、確かにあります。

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「変われ」と迫る空気のなかで

正直に言えば、このままここで働き続けられるなら、それでいいのかもしれません。

けれど、心のどこかでいつも、不安がよぎるのです。

「このままでいいのか」
「社会のなかに、居場所はあるのか」

その理由の一つは、「会社の空気」にあります。

たとえば、「障がい者ビジネス」という言葉が、あたかも当たり前のように飛び交う現場。

そこにあるのは「配慮」ではなく、
「利益の対象としての存在」です。

そして会社は、基本的に変わりません。

「自分が変わればいい」
「我慢が必要」

そう言われる空気に押しつぶされそうになります。

でも、
社会の構造自体が障がい当事者に不利なままなら、
変わるべきは本当に“私たち”だけでしょうか?

「ズルい」と言われたとき

「障がい者はズルい。優遇されすぎている」

そんな言葉を耳にしたことがあります。
けれど、その人は、きっと知らないのです。

私たちが「優遇」されているのではなく、
「支援がないと対等に立てない」という現実を。

支援は、ラクをするためのものではありません。
「ようやくスタートラインに立てる」ための最低限の条件なのです。

健常者もつらい。
それは確かにそうです。

でも、
だからといって弱い立場の人に怒りをぶつけたところで、
その人の人生が楽になるわけではありません。

「みんな一緒」が正しいのか?

会社とは、一見すると「似た者同士の安心感」で成り立っている場所です。

けれどその正体は、「同調圧力」でしかないと感じることがあります。

みんなと同じであることが安心。

違う意見を出すと「変わり者」。自分らしさを出すことが「空気を壊すこと」とされる。

その結果、自分の声をしまい込む人が増え、「誰も本音を言えない職場」ができあがっていきます。

果たしてそれが、「まともな社会」といえるのでしょうか。

声を上げるということ

私は、この文章を「不満の吐き出し」のために書いているわけではありません。

本当に伝えたいのは――。

「今の社会は、当事者にとって、これほどまでに生きづらい」という現実です。

そして、それを知らないまま「批判する側」に立つ人の多さ。

けれど、誰かが声を上げなければ、何も変わりません。

声は、すぐに届かないかもしれない。

それでも言葉を投げかけ続けることでしか、社会は変わらないと思うのです。

共感よりも、「知ろうとする姿勢」を

優しさだけでは、足りません。

必要なのは、
「まず知ろうとする姿勢」
「なぜ社会がこうなっているのかを考える力」

そして、「仕組みを変えようとする行動」です。

誰もが安心して、「自分らしく」働ける場所をつくるために。

私はこれからも、小さな声を発信し続けます。

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