価値観を形成し、育てるために必要なものは何か。
この問いに対する答えは人それぞれでしょう。
私にとってその答えは、「信じること」だと考えています。
なぜ私が「信じること」を選んだのか。
それは、多くの人が「自分自身を信じられていない」と感じるからです。
隠された「我慢」と自信の喪失
表面的には人生を楽しんでいるように見える人でも、心の中では何かに我慢し、無理をしている場合があります。
何かを信じ、期待した結果、うまくいかなかった時に自分を責めてしまう。
この繰り返しが、次第に自分を信じる力を弱めてしまいます。
自分を信じられなくなることは、まるで心の「ストッパー」のように働き、自身の感情や行動をコントロールする力を弱めてしまうように感じます。
日本人が褒め言葉を謙遜する理由
私は専門家ではありませんが、かつて職人の世界で人材育成や改善リーダーを務めた経験から、特に日本人は「褒められ慣れていない」と感じることが多々ありました。
若い世代の中には恐れ知らずな子もいますが、多くは褒めると謙遜で終わってしまいます。
これはなぜなのか?と突き詰めて考えた結果、私の結論は「自分を心から信じられていないからではないか」というものでした。
褒め言葉を素直に受け取らず謙遜で終わらせる姿勢の裏には、「もっと努力しなければならない」という強迫観念のようなものが潜んでいるように見えました。
教育や家庭環境など、不特定な要因かもしれませんが、私たちは、心の奥底に眠る「信じる力」が弱まるようにプログラムされてしまっているように感じます。
勿論、人間は防衛本能として不安やストレスを感じるようにできていますが、日本人の高い認知能力と感受性の結果、「謙遜」というマインドが特に強く表れているのかもしれません。
過去の経験から得た気づき
高卒で製造業の正社員として約10年間働いた私のキャリアは、職人の世界に飛び込み、人材育成や改善リーダーとしての知識を得るという、自分を育てる上で貴重な経験でした。
しかし、その裏では、辛い現実を隠すために「嘘の仮面」を被り続け、我慢し続ける日々でした。
その結果、私は病気を発症してしまいました。今でもこの結果は悔やまれます。
それでも、私の中には不思議と少しの自信があります。現在も困難な生活を送っており、精神的に病む日もあります。
それでも、自信がある。
その自信がどのようなものかと問われると、具体的な説明はできません。
「漠然とした自信」が、今の私自身の「漠然とした価値観」を作り続けているように感じます。
価値観を強化するヒントとしての「信じる」行為
価値観を強化するもう一つのヒントは、宗教にあるかもしれません。
宗教は自由であり、誰にも与えられた特権です。
義務ではなく、信じたい人が信じれば良いものです。
私自身が何か一つの宗教を信じることで、心の中で「信じること」が強化されているのかもしれないと感じています。
心が弱まっても、信じる対象があること、そして誰かと話せる相手がいることが、私を支えているのです。
「信じる」とは、人と対話すること
「信じる」という漢字は「人」と「言」で構成されています。
文字通り、「人に言葉を伝える」という意味があるのかもしれません。
そう考えると、「信じる」とは、即ち「人(自分や他者)を信じること」だと言えるのではないでしょうか。
それは他者に期待することとは違います。
独立した人間同士が対話し、関わり合うことで、自分自身を、そして相手を、更には社会や環境までも信じることができるようになる。
これこそが、価値観を育てる本質的な意味になるのではないかと私は感じています。
皆さんは、この考えについてどのように感じましたか?
ぜひ皆さんのご意見を聞かせてもらえると嬉しいです。
一緒に「価値観とは何か」を見つけていきましょう。
