「あなたって白黒思考だよね」と言われたことがあるだろうか。私は自分がそのタイプだと自負している。
0か100か。グレーゾーンより白か黒かで物事を判断することが多い。
この記事では、白黒思考を自負する筆者が、その思考のリアルと向き合い方、そして日常の中での活かし方について率直に語る。
白黒思考とは何か――「0か100」で考える私の場合
白黒思考とは、物事を「白か黒か」「0か100か」という二項対立で捉えやすい思考パターンのことだ。
医学的・心理学的には認知の歪みの一種として語られることもあるが、私自身はそれを単なる欠点とは思っていない。
完璧主義であること、頑固であること、手加減が利かないこと。
それらが複合的に絡み合いながら、私という人間を形成している。
医学的な定義と完全に一致しないかもしれないが、それが私の実感だ。
自分が白黒思考だと気づいたきっかけ
「ありのままで生きる」と決めてから、自分の思考パターンがより鮮明になった。
完璧にできないならやらない、合わないなら距離を取る、ルールを守るべき場面とそうでない場面を自分で判断する。
そういった姿勢が「白黒思考」という言葉で括られることが増えた。
他者から「白黒思考だ」と決めつけられたとき、私が思うこと
自分自身が「私は白黒思考だ」と語るのは構わない。
しかし、他者が一方的に「あなたは白黒思考だ」と決めつけて言うのは、偏見に近いと感じることがある。
そこで私には準備している返しがある。
「他者に対して何でも白黒思考だと決めつける人も、十分に白黒思考なのではないかと思いますが、いかがでしょう?」という言葉だ。
反撃というより、相手への気づきを促す意図がある。
相手もまた「自分は白黒思考ではない」と決めつけているから、他者を白黒思考と断じられるのだろう。
それでも「それも決めつけだ」と言われるならば、もはや物理的に距離を取るしかない。
共通点があったとしても、だ。それが私の判断基準であり、人生というものだと思っている。
白黒思考のメリット――合わない人と無理に合わせなくていい
白黒思考の良い点は、「合わない人とは合わなくてもいい」と割り切れることだ。
全てを完璧にしようとすることに意味はないし、そもそもこの世に完璧などない。
ゲームの世界でさえ完璧にはできないのだから、現実世界で完璧な人間など一人もいない。
完璧に見える人も、自分にできることを懸命にこなしているだけだ。それが人生というものだろう。
白黒思考の私はその事実を事実として受け取り、自分のペースで生きることができる。
割り切れることの強さ
みんな違うのは当たり前のことだが、「仲良くしなければならない」というのは無理な話だ。
楽しいと思える瞬間を大切にし、何かに夢中になりながら生きていければ、白黒思考であっても悪くない。
互いに補い合いながら生きているのが人間社会であり、共存とはそういうことだと私は思っている。
自分一人だけで生きられる人間はいないが、だからといって全員と仲良くする必要もない。
それが白黒思考の私にとっての「共存」の定義だ。
完璧主義と白黒思考の共通点
白黒思考には完璧主義との親和性が高い側面がある。
「やるならきちんとやる」「中途半端が許せない」という感覚は、白黒思考の延長線上にある。
これが強みになる場面も多い。
細部への注意力、一貫性、ブレない判断軸。これらは白黒思考ならではの武器だ。
白黒思考のデメリット――仕事と職場での苦労
ただし、仕事の場になると勝手が違う。
職場という共存を前提にした環境では、ルールに従わなければならない場面が必ずある。
それが私にとって一番の苦労だ。
ルールへの違和感とこだわりの強さ
白黒思考だと「守るべきルール」と「守らなくてもいいルール」を自分で判断しようとしてしまう。
しかし職場はその判断軸ごと押しつぶしてくることがある。
共存を重んじる職場のルールには必ずしも従わなければならない。
白黒思考の私には、そこがもっとも窮屈に感じる場面だ。
また「ありのままで生きる」と決めている以上、頑固さや手加減の利かなさが表に出ることもある。
それが相手に迷惑をかけることもあるかもしれないが、人は生まれながらにして誰かに迷惑をかけながら生きているものだと思っている。
白黒思考を活かすための日々の工夫
どうすれば白黒思考を上手く活かせるか、日々考えている。
私が意識しているのは「思考を止めないこと」だ。朝に洗顔や歯磨きをするように自動化された行動も、実は思考の一つ。
それを自覚している人とだけ、きちんとした対話ができると感じている。
相手の在り方を歪めようとする人とは折り合いがつかない。
だからこそ、共存できる部分とそうでない部分を見極めながら、距離感を調整することが白黒思考を活かすための現実的な方法だと思っている。
白黒思考と日本社会――暗黙知と決めつけの文化
日本には「言わなくてもわかるだろう」という暗黙知の文化が根強い。
それは言葉を避けるというよりも、察する力への過信とも言える。
その暗黙知を相手にも強要するのは、ある意味で白黒思考の最たるものではないかとも思う。
「言わなくてもわかる」は白黒思考の最高峰かもしれない
曖昧さと決めつけが混在する日本社会で、私は時に苦しさを感じることもある。
「察してほしい」と「決めつけないでほしい」が同時に存在する文化は、白黒思考の人間にとってとりわけ矛盾に映る。
日本では迷惑をかけることへの批判が強いが、それを過度に強要しあえば誰もが苦しくなる。
まず人と人との共存が十分に成り立っているかを問い直すことが先決だと、私は考えている。
これはあくまで一つの意見であり、差別や排他を意図したものではない。
まとめ――白黒でいい、それが私の生き方
白黒思考は、そんなに悪いものではないと私は思う。
事実、それを自負しながら生きていけているからだ。完璧な人間などいない。
互いに補い合い、楽しいと思える瞬間を積み重ねながら生きていければ、白黒思考であっても十分に豊かな人生になる。
どうすれば自分の思考を活かせるかを日々考え、思考し続けること。
それが私にとっての「生きる」ということだ。
あなたは、どんな人生にしたいだろうか。
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