今日は、病んだ。それでも「おかしい」と思ったことを言葉にする
今日は、病みました。
正直に言えば、就労支援A型に、これ以上希望を持てるのか分からなくなっています。
どうしても、どうしても、日々少しずつ希望が削られていくような感覚があります。
何か一つ、大きな出来事があったというよりも、小さな違和感や疑問が積み重なっていく。
「これで本当にいいのだろうか」
「これが本当に支援なのだろうか」
そんなことを考えているうちに、いつの間にか、自分自身が疲れ果ててしまいました。
今日は、そんな一日でした。
「代行ビジネス」に感じる違和感
どこの支援機関のことなのか、ここでは具体的には書きません。
ただ、僕は「代行ビジネス」と呼ばれるものに対して、どうしても強い違和感があります。
場合によっては、それを「悪に近いもの」と感じてしまうことさえあります。
もちろん、組織側には組織側の事情があるのでしょう。
「これは必要悪なのだ」
そう考えているのかもしれません。
しかし、仮に本当に「必要悪」なのだとしても、「必要悪だから仕方がない」で終わらせていいのでしょうか。
僕は、そうは思いません。
問題があるのなら、問題として認識する。
どうすれば改善できるのかを考える。
少なくとも、そういう姿勢が必要なのではないでしょうか。
完璧である必要はないと思います。
失敗することもあるでしょう。
すべての利用者の希望に応えることも、現実には難しいでしょう。
それでも、「どうしたらいいのだろう」と真剣に考えようとする企業や支援機関であれば、まだ救いがあると思うのです。
なぜなら、そこには「改善しようとする意思」があるからです。
でも、もしそれすら考えていないのだとしたら。
もし、問題があること自体を問題として捉えていないのだとしたら。
そして、そのように感じさせてしまうような状況が続いているのだとしたら。
僕は、「支援」という言葉そのものに疑問を持ってしまいます。
「支援」を名乗るのであれば、もっと透明性を
僕は、「支援」を名乗るのであれば、もっと透明性があってほしいと思っています。
何が行われているのか。
誰のために行われているのか。
その支援によって、利用者は本当に助けられているのか。
利用者自身が、「これは自分のための支援なんだ」と感じられているのか。
そういうことが、もっと見えるようになってほしい。
支援する側から見た「支援」だけではなく、支援を受ける側から見ても「支援」と呼べるものであってほしい。
それが、本当の意味での支援なのではないでしょうか。
少なくとも僕には、今の状況がそう見えないことがあります。
そして、そのことを考え続けているうちに、僕自身がどんどん苦しくなっていきます。
自分の脳で、自分の脳を食い潰していく。
そんな感覚になることさえあります。
ずっと考えてしまう。
どうしてこうなったのか。
何が間違っていたのか。
自分が悪かったのだろうか。
もっと我慢すればよかったのだろうか。
もっと上手に立ち回ればよかったのだろうか。
そうやって自分自身を責め続けてしまう。
それくらい、しんどいです。
「自分が悪かった」で終わらせたくない
それでも、僕は言い続けたいと思っています。
A型すら辞めなければいけないところまで追い込むような就労支援があるのだとしたら、それはおかしい。
少なくとも、僕はそう感じた経験があります。
だから、その経験を「自分が悪かった」で終わらせたくありません。
もちろん、僕自身にも至らなかったところはあったのだと思います。
僕の見方がすべて正しいとも思っていません。
僕には見えていなかった事情があったのかもしれません。
相手には相手の事情があったのかもしれません。
それでも。
僕が実際に苦しかったことまで、なかったことにはできません。
僕が感じた違和感まで、「考えすぎだった」の一言で消してしまうこともできません。
自分が経験したことを、自分自身の言葉で記録する。
それくらいはしてもいいのではないかと思っています。
言い続けないと、僕の人生は報われない気がする
なぜ、ここまで書き続けるのか。
自分でも考えることがあります。
もしかすると、僕は「言い続けたい」のだと思います。
言葉にしなければ、なかったことになってしまうような気がするからです。
黙ってしまえば、「仕方がなかった」で終わってしまう。
「自分が悪かった」で終わってしまう。
でも、それでは僕の人生は報われないような気がします。
だから、僕は書きます。
怒りも。
悲しさも。
違和感も。
そして、自分自身の弱さも。
全部をきれいに整理できなくても、その時に自分が何を感じたのかを残しておきたい。
これは、誰かを一方的に責めるための文章ではありません。
僕自身の経験を、「僕はこう感じた」と記録するための文章です。
今日、病んだことも僕の人生の一部
今日は、病みました。
希望が削られているように感じました。
「もう無理なのではないか」と思いました。
何度も考え込んで、苦しくなりました。
それでも僕は、「おかしい」と思ったことを言葉にしました。
そして、今日という一日をここまで生きました。
それもまた、僕の人生の一部なのだと思います。
毎日、前向きでいなくてもいい。
毎日、成長していなくてもいい。
毎日、希望を持っていなくてもいい。
病んでしまう日があってもいい。
立ち止まってしまう日があってもいい。
「今日は何もできなかった」と思う日があってもいい。
それでも、生きている。
それだけで十分な日があってもいいのだと思います。
だから今日は、そんな自分にも祝福をしたいと思います。
今日も、よく生きた。
それだけで十分な日があってもいい。
明日は、今日よりほんの少しだけでも、希望を取り戻せますように。
今日は、ここまでにします。
※この日記の内容には、筆者自身の体験と感情が強く反映されています。記述されている出来事や意見は、あくまで個人的な視点に基づくものです。特定の団体・人物を一方的に断定・批判することを目的としたものではありません。読まれる方によっては、不快に感じられる表現が含まれる可能性がありますが、率直な記録として受け取っていただければ幸いです。
