「自分には、これといった才能なんてない」
ずっとそう思っていました。目立つスキルもなく、人に誇れるような特別な実績もない。
何者でもない自分が、この先どう生きていけばいいのか。ただぼんやりとした焦りだけを抱えていました。
そんな僕が今、現場での「人材育成」に深いやりがいを感じ、将来は個人事業主として育成や現場改善に関わりたいと考えています。
人生とは、本当に不思議な巡り合わせだと思います。
マニュアルがない現場で突きつけられた「育成」という無茶振り
僕が社会人になって初めて人に仕事を教えることになったのは、工場の現場でした。
効率と正確さがすべてで、「人を育てる」なんて温かい言葉はどこか浮いているような、厳しい職人の世界です。
入社3年目。自分自身も職人の技とルールに悪戦苦闘していた時期に、突然、新入社員の後輩指導を任されました。
「なんで僕なんですか?」
思わず上司に聞くと、返ってきたのは呆れるような言葉でした。
「若いから。俺は今の若い世代の気持ちが分からない」
上司は40代前半。10年以上のキャリアがある職人です。「そんな理由で丸投げするのか…」と一瞬呆れましたが、時間が経つにつれて僕の心には小さなワクワクが芽生えていました。
「これって、僕自身の成長のチャンスなんじゃないか?」
「上司を飛び越えて、僕がすごい指導者になっちゃってもいいのかな?」
心の中でそう呟きながら、僕の「育成という名の実験」が始まりました。
「教える」のではなく「問いかける」。教劇的な変化は静かに起きる
ある日、作業の理由を尋ねた後輩が「なんとなく…」と答えました。
その自信なさげな表情を見て、僕はふと仮説を立てたんです。
(この子は今まで『自分で考えていい』と言われたことがないのかもしれない)
だから、こう問いかけてみました。
「もっとやりやすいやり方があるなら、試してみる?」
少しの沈黙の後、彼は「実は…」と自分の意見を口にしてくれました。
その瞬間、現場の空気が少し動いた気がしました。
指導とは、一方的に「教える」ことではなく、「問いかけの実験」です。
問いを投げ、反応を読み、また一緒に考える。そうやって会話から小さな芽を出していく。
挨拶すら苦手だった後輩が、ある日「昨日、自分なりに手順をまとめてみました」とメモを見せてくれたことがありました。
その一言に、僕は心の底から震えました。
劇的な変化ではありません。でもそこには確実に、「自分で考えて動いた」という強い意志がありました。それこそが、人が持つ「才能の芽」なのだと確信した瞬間です。
育てていたつもりが、僕自身が育てられていた
僕は「指導が得意です」と胸を張れるタイプではありません。数えきれないほど失敗しましたし、言葉が伝わらずに思い通りいかないことばかりでした。
それでも僕が育成に関わり続けたいのは、「対話を通じて、お互いに成長できる」と知ったからです。
「どうしてそう思う?」
「どうすればもっと楽に作業できるかな?」
後輩と一緒に答えを探したあの時間は、僕自身の中に眠っていた「思考する力」や「人との関わり方」を呼び覚ましてくれました。
育成とは命令ではありません。問いかけ、待ち、信じること。
相手の可能性に寄り添う対話のプロセスそのものが、未来を開く力になると信じています。
おわりに:誰かの「変わるきっかけ」になりたい
「自分には何もない」と思い込んでいた僕が、後輩との対話を通して変わることができたように。
今度は僕が、現場で悩む若手や同年代の誰かが「変わるきっかけ」を作っていきたいと思っています。
大きなことを成し遂げる必要はありません。
問いかけ、待ち、信じ、また問いかける。
そんな泥臭い繰り返しの先にしか、本物の成長はないはずです。
今日も僕は、目の前の相手に問いかけます。
「君は、どう思う?」
