寒くなると起きられない朝が増えてきた
最近、朝起きるのがとても辛い。そんな日が続いている。
寒さで頭が重く感じて、布団から出られない日が増えてきた。
今日はそんな「起きられない自分」について、正直に書いてみようと思う。
寒さ・持病・ストレス、起きられない理由は一つじゃない
朝起きられない原因は、単純な「寒さ」だけではない。
自分が抱えている持病の影響も大きいし、日々のストレスも無視できない原因の一つだと感じている。
今年で39歳、来年には40歳になる。
年齢を重ねるごとに、身体と心が少しずつ壊れていくような感覚がある。
ストレス社会の中で、自分のペースすら保てなくなっている気がして、正直しんどい。
「組織のために生きているわけではない」という思い
どれだけ頑張っても、組織というものは融通をきかせてくれない。
そのことに、何度も残念な気持ちになってきた。
ただ、これだけははっきり言える。
僕は組織のために生きているわけではないし、「普通」を目指しているわけでもない。
努力することは大事だと思っている。
でも、努力する気すら起きないようなルールやマニュアルには、はっきりNOを突きつけたい。
そう思っている。
日本に足りないのは「寛容」「改善」「対話」だと思う
日本に足りないものは、寛容と改善と対話だと僕は思う。
「和を以て貴しとなす」という言葉を、勘違いして使っている人が多いのではないか。
そう感じる場面が、日常の中でとても多い。
対話ができない人、対話の大切さを口にできない人が増えていくと、国民性そのものが少しずつ歪んでいくのではないか。
そんな危機感を、毎日のように抱いている。
多様性という言葉は、ただの綺麗事なのだろうか。
誰かを守るために、誰かが犠牲になるのは仕方がない。
そう言い切れてしまう社会を、僕は心から怖いと感じる。
「働きアリの理論」と組織の中の犠牲者たち
ある人にこう言われた。
「それは働きアリの理論だね」と。
言われてみれば、まさにその通りだと思った。
犠牲者1号、2号……と、組織は次から次へと新しい犠牲者を見つけていく。
その数が減ることはない。
「仕方がない」という前提に立っている限り、犠牲者よりも、組織そのものを守ることが優先される。
それを「必要悪」と平然と言ってのける人間の姿に、愚かさを感じずにはいられない。
周りに合わせられない人を、まるで不要なものであるかのように扱う。
そんな空気に、今日もまた恐怖と絶望を感じている。
この違和感、僕だけが感じているものだろうか
朝起きられないことから始まった今日の振り返りは、気づけば組織や社会への違和感につながっていた。
寛容さも、対話も、多様性も、本当はもっと当たり前にあっていいはずのものだと思う。
同じような息苦しさを感じている人は、きっと僕だけではないはずだ。
あなたは、今の組織や社会のあり方に、違和感を覚えたことはありませんか。
※この日記の内容には、筆者自身の体験と感情が強く反映されています。記述されている出来事や意見は、あくまで個人的な視点に基づくものであり、特定の団体・人物・制度を一方的に批判する意図はありません。読まれる方によっては、不快に感じる表現が含まれる可能性もありますが、率直な記録として受け取っていただけますと幸いです。
