これまでの革命と聞くと、国や国民が権力に立ち向かい、歴史を動かしてきた時代を思い浮かべるかもしれません。
しかし、私が今回お伝えしたいのは、それとは異なる「公平」が生み出す革命についてです。
私は専門家ではありませんが、製造業での人材育成を通して得た経験が、このテーマへの深い思いにつながっています。
辛かった人材育成の経験
高卒で社会に出て製造業の現場で働いていた私は、後輩育成に涙を流す日々を送りました。
誰も育成のノウハウを教えてくれる人がいなかったため、まさにゼロから新しいものを生み出すような経験でした。
それは本当に「辛かった」の一言に尽きます。
この育成経験は、私の人生で最も貴重な学びとなり、現在、私が障害者雇用と就労支援に携わる上で大切な概念となっています。
私自身が病気を発症し、支援される側になったことで、より一層この問題意識が深まりました。
特に、経験の浅い私が後輩育成を任されるという矛盾を抱えながらの毎日は、仕事の範疇を超えた苦悩でした。
負けず嫌いな性格が幸いし、「先輩たちよりも成長してやる」という野望を胸に、私は育成に取り組みました。
この経験が、まさか「平等」と「公平」という概念につながるとは、当時の私には想像もできませんでした。
成長への多様なアプローチ
2008年、入社3年目で後輩育成が始まりました。
今思えば、技術職で先輩が教えず、平社員が教えるのは異例のことです。
しかし、当時の私はこの状況をドキドキとワクワクに変え、日々考えていました。
その時指導した後に係長になった後輩は、目覚ましい成長を遂げたと感じています。
人の成長には様々な考え方があります。
自立させるためにあえて何も教えない人もいれば、理不尽な教え方をする人もいます。
中には「背中で見せる」という先輩もいますが、私に言わせれば、それは対話が欠けているため愚かな指導法です。
人材育成の観点から見れば、それは不正解でしょう。
つまり、育成に「答え」はないのです。
私なりの育成論は、「育成とは、本人の努力によって得られた結果やプロセス次第で決まる」という非常に抽象的なものです。
これを具体的に説明できるという人は、育成経験がないか、理解していない人だと感じます。
なぜなら、多くの人が「自分がやった方が早い」と感じるからです。
変化する日本の雇用と社会の現実
近年、日本は欧米式の優秀な人材を求める傾向が加速しています。
育てるコストよりも、自ら動ける人材を重視するようになっているのです。
私は、これから人材確保も転職も難しい時代が到来すると考えています。
特に、人間にしかできない業種(物流、バックヤード、飲食業など)は、人口減少とAI・省人化の影響で混乱の渦に巻き込まれるでしょう。
この現象と、私が経験した育成、そして「平等」と「公平」は密接につながっています。
「平等」の弊害と「公平」の必要性
日本は「平等な社会」と言われます。
しかし、長期的に見ると、これは個人、組織、そして国を腐敗させ、滅ぼす原因になりかねません。
今の政治の腐敗を見れば、その実態がわかるでしょう。
政治家が国民のためではなく、自分のために政治を志すようになり、国の未来を考えることが疎かになっている現状があります。
私は、平等とは「同じルールが共存する」という良い響きを持つ一方で、実際は「平等ではない社会だからこそ、皆が平等だと口を揃える」のだと感じます。
平等は、高い能力を持つ人だけが開花できる仕組みです。
では、「公平」はどうでしょうか。
公平は、「一人ひとりに合った対策を考える」仕組みです。
どちらも公平を目指さなければ、国と共に滅びの道を進むでしょう。
なぜなら、今の社会はどちらも実現できておらず、平等であるはずなのに不平等を感じる人がいるのが現実だからです。
例えば、発達障害を持つ人たちに対する理解不足が挙げられます。
特性を悪と断じる風潮は、果たして平等と言えるでしょうか。
公平は、さらに実現から遠ざかっているのが現状だと私は考えています。
この国では、若い世代を中心に残念な敗北感が満ちています。
しかし、全ての人がそうではありません。
自分の得意や価値観で社会貢献をしている若い人や経営者がいることも事実です。
「公平」がもたらすメリットとデメリット
公平が生み出す革命について語るために、まずは公平のメリットとデメリットを説明します。
公平のデメリット
公平にしたことにより、平等で勝ち得た人が弱者に流れる恐れがある。 現状の平等なルールで富や名声を得ている人々にとって、公平な社会は都合の悪いものになる可能性があります。
公平を推し進めるために、平等を否定するかのような風潮になることがある。 現代社会が平等に最適化されていると錯覚している人は、弱者の視点を持たない傾向があります。彼らは結果だけを追い求め、もっと大切なものを見失っています。
平等と公平の価値観を見失う恐れがある。 平等という価値観と公平という価値観を天秤にかけた時、現代社会は公平を実現できていないため、平等という価値観にしか目を向けることができていません。私は「平等は病」だと表現したいほどです。
公平のメリット
一人ひとりの特性に合った社会が生まれる。 人の特性は様々であり、その特性を理解した支援が必要です。
一人ひとりの生き方を最適化できる。 個人の生き方は千差万別であり、平等があるために苦しんでいる人もいます。公平が実現されれば、その人たちも平等という病の被害者にならずに済みます。
職場改善や個人の意識改革につながる。 現在の平等社会では、個人への配慮が行き届いていない企業が多く存在します。公平な教育が必要であり、それは職場改善や個人の意識改革につながります。
これらのメリットとデメリットが存在することを理解することが重要です。
考えることの重要性
現代社会は、「これが答えだから従え」と言わんばかりに、多くの人が辛い現実を受け入れて生きています。
しかし、私はこの矛盾に怒りを感じています。
今の社会は「生きづらい」と感じるほどです。
私の育成に対する考え方は、これらのデメリットだけでも説明できるでしょう。
そして、公平のメリットは、「一人ひとりの特性に合った社会が生まれる」、「一人ひとりの生き方を最適化できる」、そして「職場改善や個人の意識改革につながる」ことだと考えています。
しかし、これらの実現は簡単なことではありません。
特に、知らないことを知ろうとしない日本人にとっては、社会全体の変化は難しいでしょう。
今の価値観のままでは、日本人には無理だと言わざるを得ません。
私はあえて厳しい言葉を使っています。
それは、多くの人が考えるきっかけになってほしいと願っているからです。
考えるためには抽象的な論理説明が必要です。
あえて確信を説明しないのは、一人ひとりが考えられるように、個人の特徴に合わせてそうしているのです。
「誰も私の考えを知ろうとしない。誰も自分たちの事しか考えない」。
これが今の日本の現状です。
しかし、私はこの現実を受け入れ、日本が衰退するであろうということも含めて、あえて口にすることで、考えるきっかけが生まれると信じています。
「公平」は抽象的であり、論理的に納得できる確信がない説明力が必要な時代を築くために、一人ひとりが考えることが一番の近道だと私は信じています。
