日本社会の「空気」は、時に毒になる
「本音と建前」は、日本を語るうえでよく出てくる言葉です。
でも、僕にはこの文化が生きづらさの原因にしか思えません。
本当はこう思っている。
けれど、口にしたら嫌われるかもしれない。
だから黙っておく。
そうして黙り続けた結果、自分の声がどんどん小さくなっていく。
そんな社会に、僕は警鐘を鳴らしたいのです。
「嫌なら出ていけ」という言葉に逃げたくない
SNSなどで本音を語れば、「そんなに嫌なら日本から出ていけ」と言われる。
でも、僕は日本が嫌いなんじゃない。
むしろ好きだからこそ、残念に思うのです。
治安は良く、ご飯はおいしい。
人も優しい。
でも、そこに「本音を抑え込む空気」が混ざると、社会はどんどん窮屈になる。
「違和感を持つ人が出ていけばいい」じゃなく、「違和感を語れる社会にしよう」じゃダメなんでしょうか?
意見を言うことは、迷惑じゃない
僕は、いつも本音をむき出しにしているわけではありません。
言うべき時だけ、悔いを残したくない場面だけ、言葉を選んで伝えているつもりです。
でもそれさえ「めんどくさい」と感じる人がいる。
違う意見に触れることを拒否する人が多いのは、「対話」を避けてきたからだと思います。
本音はぶつかるもの。
でも、ぶつけたからこそ、見えてくる景色もある。
考えなくても生きられる社会の落とし穴
現代は、便利で快適です。
調べたいことはスマホが教えてくれるし、感情はSNSで吐き出せる。
でもその結果、「自分で考える」ことをやめてしまった人も増えている気がします。
若い世代の中には、自分の命を軽視し、生きることを放棄してしまう人までいます。
しかもその最期を、動画として配信する現実もある。
それは「弱さ」ではなく、「孤立」の表れではないでしょうか。
僕が信じたいのは、苦しみの中の希望
僕自身、障がいを抱えています。
そして、信仰を持って生きています。
だからこそ思うのです。
生きるって、たしかにツラい。
でも、その中にこそ、小さな希望がある。
楽しいことを「楽しい」と感じられる瞬間。
その一瞬があるだけで、僕は生きる価値があると信じています。
本音は、生きる力になる
建前に押しつぶされる社会では、真面目な人ほど苦しむ。
僕はそれが本当に悔しいです。
だから、本音を語ることを恐れたくない。
本音は、自分が「ここにいる」という証だと思うのです。
押し殺せば、きっと心のどこかが壊れてしまう。
日本は、これから変われるでしょうか?
変化を拒み続けるのか、それとも受け入れる勇気を持てるのか。
僕は、後者に希望を託したい。
願わくば、僕が生きている間に「本音で生きていい社会」になってほしい。
それが僕の、心からの願いです。
